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舞台上で目を奪われること

 僕が小さい頃、祖父とそのお友達に連れられて、国立劇場へ………あれは、そもそも何を見に行ったのでしょうねぇ、天皇皇后両陛下もご覧になっていた舞台、薄れつつある記憶の中では、色々な芸能が披露されていた、名人の会の様な扱いだった気がします。

 その時に、坂東玉三郎丈が踊ったのが『京鹿子娘道成寺』。これは良く覚えています。
 中啓の舞が終わり、手毬唄に入り「どうでも女子は悪性もの…」と引き抜いた次の瞬間、スーッと舞台前面に出て来て横座りをする玉三郎丈が目の前に!
 子供には刺激の強い、何とも言えない色気(笑)。
 この一瞬の出来事は、忘れることの出来ない思い出となっています。

 あの瞬間、客席の全ての人が目を奪われていたのだと思います。

 目を奪われると言えば、もう一つ忘れられない舞台があるのです。

 これも何の伝手で行ったのやら、覚えていないのですが、たしか先代の花柳壽楽さんの会だったと。こちらも国立劇場の大劇場です。
 薄らとした記憶の中に、花柳錦之輔さん(今の花柳壽楽さん)と花柳典幸さんが『二人猩々』を踊っていらして、まるで水面を滑るような足の運び、静かに、かつ次第に心の中に高揚感が広がっていくような酔態に目を奪われていたのも、その時だったと思うのです。

 会も終わりに差し掛かり、大曲の『京鹿子娘道成寺』が終わり、最後は花柳壽楽さんの『七福神』でした。
 『京鹿子娘道成寺』はご存知の方もいらっしゃると思うのですが、舞台の背景は桜が咲き誇る山の書割に、大きな釣鐘が吊ってあるのです。舞台が終われば、それを片付けるので、それなりに時間が掛かります。
 しかし、その時は然程間をおかずに幕が開いたのです。

 幕が開くと、娘道成寺の大道具のまま、紋付き袴姿でお辞儀をする花柳壽楽さん。
 踊りが始まると、その世界にどんどん吸い込まれ、片時も目が離せないまま、幕が下りて行きました。

 娘道成寺の煌びやかな大道具の前に、たった一人、黒紋付と仙台平の袴で踊っている。
 通常であれば、大道具の方に負けますよ。大道具に目が行っちゃいますし、踊っている方だって目立てません。

 それがもう、踊りが始まった瞬間に目を奪われてしまったんです。
 不思議体験としか言いようがないです(笑)。

 時折、こういう不思議体験のことを思い出すにつけ、多くの人が「何故か知らないけれど、そちらを見てしまう」そういう力って何だろう、と考えることがあります。
 あれは、身に付けようとして身に付くものでは有りませんね。
 その人の中から発せられる何か。日々、自分に向き合ってこその物なのだと思います。

『松づくし』の色々

歌川国芳の作品に『桜三筋末廣の松』という作品がありまして、その作品には『松づくし』を踊る幇間「桜川三考」の姿が描かれています。
歌詞と共に、振りが一つずつ描かれている、という感じでしょうか。
計四本の扇を用いて、歌詞に合わせた様々な松の姿を踊っています。
画像はskywalkerさんのブログの記事「没後150年歌川国芳展200 桜三筋末広の松」にありました。

さて、この『松づくし』。この絵が描かれた当時と全く同じ歌詞で、現代にも曲が残っています。
端唄、地歌、筝曲、郷土芸能、寄席、色々な所に受け継がれています。

個人的に面白い!と思う点。
それは、受け継がれている場所、それぞれで微妙に違うと言うことです。

まず、端唄の『松づくし』。

かなりサラッと歌い上げていますね。
サラッと歌い上げているので、旋律もわかりやすいと思います。

次に地歌の『松づくし』。

かなりテンポがゆっくりになっています。
それから、端唄と比べると旋律が微妙に異なりますよね。
良く聴いていると京ことばのアクセントに近い旋律になっているのが分かると思います。

続いては青森県南部町の『松づくし』

歌詞はやはり同じで、旋律は端唄の『松づくし』に非常に近いのですが、三味線の弾き方、唄い方は民謡のものですね。
こぶしの効かせ方なんかすごく好きです。

最後に伊予万歳の『松づくし』。

これは旋律を聴き取るのが難しいですね。
良く聴いていると端唄の『松づくし』と似ているのですが、唄がとっても伸びているので、とても分かりにくくなっています。
三味線がロックンロールみたいですよね。

この他に、筝曲にもあるのですが筝曲の場合は、かなりゆっくり歌い上げるようになっています。
こちらの旋律は端唄とほぼ同じですね。

全て同じ『松づくし』です。
きっと、大元になる『松づくし』があって、それが各地の言葉や、各地の芸能の傾向に合わせて、どんどん姿形を変えて、現代まで受け継がれているのでしょうね。
こうやって突き合わせてみると、中々興味深いですよね。